新型コロナウィルスとトロッコ問題

雑記

新型コロナウィルスによる全国的な自粛ムードに突入して、1ヵ月以上が経ちました。
そんな中で、私が感じている違和感とその原因について吐き出しておこうと思います。

トロッコ問題

トロッコ問題とは、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学上の問題です。

Wikipedia-トロッコ問題

このような絵を見たことがある方も多いでしょう。

トロッコ問題には「正解」はありませんが、「人命の価値は個人によらず一定である」という前提のもと「1人を犠牲にして5人を助けるべきだ」という最適解の導出は可能です。
それは

  • 放っておく⇒5人死ぬ
  • 手を加える⇒1人死ぬ

と各選択肢を取った際の結果が明らかにされているからです。

新型コロナへの対応はトロッコ問題か

新型コロナへの対応を考えることは、トロッコ問題を考えることに似ています。

①経済活動を自粛しなければ、〇人が死ぬ
②経済活動を自粛すれば、〇人が死ぬ

①については、医学・疫学・統計学などのプロが知恵を結集して、いろいろな議論がなされていますね。
しかし、②についてはどうでしょうか。
餓死・病死・自殺・治安悪化による事故や事件による死など短期的な視点はもちろんのこと、少子化の加速や科学技術の発展の停滞など、中長期的視点でも様々な社会へのマイナス影響があると考えられますが、そのような点については、私が知る限り、あまり話題になっていないように思います。
その結果、①の情報だけを持って自粛の道に突き進んでいます

つまり、今の新型コロナへの社会の対応は

  • トロッコの進行方向に5人がいる
  • ポイントを切り替えた先のことは知らない(見ようとしない)

という不完全なトロッコ問題において、目先の5人を助けるために闇雲にポイントを切り替えているようなものなのです。
切り替えた先には、100人の人間がいるかもしれませんし、もしかしたら、全人類の大半を吹き飛ばす爆弾の起爆スイッチがあるかもしれません。

まずはトロッコ問題まで格上げしよう

本来ならば、ポイントを切り替えた先に何があるのかをちゃんと確認してから、最適解がどちらかを判断すべきなのです。
実際には道は「自粛する/しない」の2つではありませんし、分岐した先にもいくつもの分岐があります。
そのすべてを完全に明らかにすることは難しいですが、専門家や世の中の声に耳を傾ければ、わかることもあるはずです。

「自粛と補償はセットだろ」
というムーヴメントは、要するに

「ポイントを切り替えた先をちゃんと確認しろ」

「切り替えた先には俺たちがいるんだぞ」

と警鐘を鳴らしているのです。

ミクロな視点で、マクロな視点で、多角的な視点で。

ポイントを切り替えた先にある未来が、見えている人には見えています。そういった声を大切にして、総合的に判断をすべきだと考えます。

「生きていれば、なんとかなる」

「とにかく今は、家にいよう」

といった無責任な感情論・根性論だけが前面に押し出されている現状は、とても気持ち悪く感じます。

今こそ冷静になるとき

日本政府は、ポイントを切り替えた先に何があるかを確認しないまま、

  • 休校
  • 外出自粛
  • 緊急事態宣言に伴う様々な業種の営業停止

と、何度もポイントを切り替えてトロッコを進めてしまいました。そして国民の多くが、その選択肢は間違っていなかったと思い込まされています。

果たして、本当に間違っていなかったのでしょうか。残念ながら答えはわかりませんが、その「わからない」という状況が最悪なのです。

「普段通りに経済活動をすると10万人死にますが、経済を止めると100万人死にます」

と言われたら、誰も自粛の道を選びはしないでしょう。

専門家は、当事者は、後者の情報をどんどん発信してください。

政府は、その情報を拾って、どうか総合的に判断してください。

正直言って、ここまで広まってしまったウィルスの感染拡大を、完全に収束させることは不可能でしょう。

将来のどこかのタイミングで

「予防と治療を講じつつウィルスと共存してくしかないね」

というフェーズに突入することになります。要するに普通の風邪と同じです。

しかし、闇雲に自粛の道へ進んでしまった以上、「もう自粛はやめていいか」と判断することが難しくなってしまいました。

例えば2020年5月6日までの緊急事態宣言が解除された後、何事も無かったかのように経済活動が回り始めるでしょうか?

私は、自粛ムードが続いてしまうのではないかと懸念しています。

ちょっと横道にそれますが、私は人間社会が人命を「何があっても最優先で守るべきものだ」という位置づけにしてしまったせいで、逆に合理的な判断を阻害し、多くの人命を失う行動を取ってしまうことがある、というバグがあると思っています。

どう修正すべきかの明確な答えは持ち合わせていませんが、

  • 固定観念にとらわれない
  • 多角的な視点で物事を見る
  • 結論を急ぎ過ぎない

ことが、ある程度の解決策になると考えています。

日本国民がこういった創造的な思考を行えない根本原因は日本の教育にあると思うのですが、そこは語ると長くなってしまうので、やめておきます。

世論には慣性が働きます。一度動いてしまった世論を止めることは、容易ではありません。

過剰な自粛の先に何が待つのか。本当に言われるまま自粛しているべきなのか。

一人でも多くの人が、政府の判断や世論の動きに疑問を抱き、声を上げていくことが重要です。

 

在宅勤務中ながらVPNのキャパオーバーで仕事にならないサラリーマンが暇つぶしで書いたぼやきに、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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