大学入試「現代文」に対するモヤモヤ

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私が大学入試を受けたのはもう十数年前になりますが、現代文、特に小説の読解問題が大嫌いでした。センター試験の小説の問題は4点とか8点とか、そんな点数だった記憶があります。

大人になった今、なぜこんな記事を書いているか。

きっかけは偶然youtubeで見た動画です。

入試現代文への誘い~正しい読み方とは【現代文 読解方法の基礎 第1講】

こちらは「ただよび」という大学受験生向けに無料の授業を公開しているチャンネルの現代文の第一講で、講師は大手予備校も経験された実力派講師のようです。

youtubeのおすすめ動画に表示されていたので、何となく見始めました。

講師はとても親しみやすく聞き取りやすい話し方だったので、これなら現代文嫌いを克服できるかも?と少し期待していました。

しかしながら、動画の6:10あたりで出てきた以下の例題で、私の中に眠っていた現代文に対するモヤモヤ感を呼び覚まし、強めてしまうこととなりました。

【問題】以下の文の(    )に入る適切な語句を選べ

少年は夏休みを(    )しながら待っていた。

1.キラキラ

2.ジリジリ

3.ハラハラ

4.ドキドキ

5.ワクワク

動画の中では特に解き方の解説もないまま5の「ワクワク」を正解として話を進めていました。

え?なんで?一つに定まらなくない?

私は混乱しました。主語が「少年」なので「キラキラ」はあり得ませんが、他はすべて入り得ると考えたからです。

「ジリジリ」は苛立つ気持ち、「ハラハラ」「ドキドキ」は不安や心配の気持ち、「ワクワク」は期待や楽しみな気持ちを表す言葉で、いずれも「少年」が主語に来ることが出来ます。

あとは「少年」が「夏休み」に対してどのような感情を抱いているか次第で(   )に入る言葉が決まります。

例えば以下のような複数のシチュエーションが考えられ、それぞれ答えも変わります。

  • 少年は学校が嫌で一刻も早く夏休みに入ってほしいと思っているが、まだ夏休みまで何日もあることに苛立っている。
    「ジリジリ」が適切。
  • 少年は夏休みに塾の夏期講習があり、勉強漬けの毎日に不安を覚えている。
    「ハラハラ」もしくは「ドキドキ」が適切。
  • 少年は夏休みに家族で旅行に行く予定があり、その旅行を楽しみにしている。
    「ワクワク」が適切。

ところが、動画では正解は「ワクワク」であり、その理由はイメージでしか伝えられない、というフワッとした説明で流されていました。

出題者(=講師)は「夏休みを楽しみにしている少年」を思い浮かべて問題を作ったのでしょうが、他の人はこれで納得できるのでしょうか。私は全然納得できませんでした。

受験生時代に現代文の問題集を解いて解答・解説を読んだ時にも、同じようなモヤモヤを何度も感じました。おそらく動画の講師が悪いわけではなく、現代文という科目そのものに、このような曖昧さが混在しているのでしょう。

他の科目では、このような「解釈次第で複数の正解があり得るが、出題者の意図を読み取って一つを当てる」ような問題はほぼありません。

もしそのような問題があれば、不適切な出題として全員正解扱いになるのが通例です。

しかしながら現代文、特に小説の読解問題では、このようなおかしい(と私が感じる)出題が平然とまかり通っています。これはとても不思議なことです。

今回の例題は「選択肢1はあり得ず、選択肢2~5はどれも等しく当てはまる」というケースでしたが、長文読解の場合は「選択肢2と3はどちらも正しいけど、3の方がより適切(と出題者は思っている)ので3が正解」みたいな問題もあったと記憶しています。

さらに不思議なのは、現代文が得意な方は、なぜこのような複数解釈可能な問題を解けるのかということです。

ひょっとして私には何かの能力が欠如しているのかもしれません。

そうだとしたら、出題者の脳内を読み取る超能力でしょうか。

半分冗談、半分本気です。

私は、現代文が得意な人はエスパーだと思っています。

 

もう現代文の問題を解くことは一生ありませんし、社会に出てからはこのような理不尽な問題を解かされることも無いのですが、久しぶりに感じたモヤモヤを記しておきたく、記事にしました。

共感いただける方がいれば幸いです。

コメント

  1. 名無し より:

    現代文は常に「曖昧な問題」としてよく槍玉に上げられていますね。私も曖昧だと思います。
    ただセンターレベルの内容理解における選択肢に関して、誤解が解けるよう少しだけ擁護させていただきます。
    例えば他の科目は確実に内容と合っているものが答えになりますが、その過程で必ずその科目で必要な「能力」を活用することを求められます(例えば英語なら単語と文法をスピーディーに活かせる能力、日本史世界史では年号と人物と地名を記憶する能力、同じ国語なら古文漢文は英語と同じく出来る限り正確に訳せる能力、等)。
    現代文に関してもこの「能力」というものが実は存在しており、それがshelfallさんの言う「超能力」のようなものです。
    私は受験生時代に宗先生の講義を受けていたのですが、言語で表すのは難しいその「超能力」をうまく体に慣らすトレーニングを教えていただいたおかげで、本番での現代文は満点でした。
    受験終了後もセンター現代文だけは毎年前後期と解いていますが点数は毎回93〜100点です。
    この「超能力」が他の科目で言う単語力だったり記憶力に相当するものだと思いますし、これがわかれば本当は正解はひとつしかない、ということは自然と理解できてくると思います。逆にこれを使う必要のないテストにしてしまうと、ただ文中に起こったことがそのまま書いてある選択肢をそのまま選ぶだけの小学生でも解けるような問題になってしまいます。
    ただこの「超能力」が大学入試以外で役に立つかと聞かれれば全く役に立ちませんし、件の宗先生もほとんどの授業の終わりで「これから読む名著たちに傍線なんてひとつも引かれていない、大切なのは読書を楽しむことだ」と仰っていました(笑)
    「曖昧ではあるけれど確実に答えはひとつに絞れる」というのが大学入試における現代文の特徴です。入試現代文に絞った学習を受ければその能力はすぐに身につくところから、予備校通いの生徒達からすると実は現代文は安定して高得点が取れる安牌な科目だったりします。
    もし大人になってから現代文を勉強したいならば、あまりオススメしません。
    先述したとおり受験問題を解く以外に活用方法がない上に脳ミソを「センター現代文的思考」まで若返らせて勉強しなければいけないため、受験が終わってから身につける意味はほぼゼロです(笑)
    「曖昧な問題を解かせる理不尽な科目」というshelfallさんの考えはそのとおりですし、解き方がわかっても得点源という意味以外でこの科目が未だに入試に存在する意味は私にはわかりません(笑)
    なんで数十年間も指摘されているのに採用し続けるんでしょうね。