自己責任論はダメ
昨今「自己責任」という言葉が様々な場面で使われます。
(例)「コロナ禍で生活が苦しくなるのは、それまで貯蓄をしなかった人の自己責任だ」
要するに「お前の不幸は自業自得だ」と言い放つ物言いですね。言われた側はムカつきますし、そう言ったところで何の解決にも至りません。
極論を言ってしまえば、すべてが自己責任の世界というのは、無政府・無秩序な世界です。北斗の拳の世界ですね。
自分の身を自分で守れない弱い奴が悪い。
死にたくなければ他者から力ずくで奪う。
そういう世界にならないために人類は社会を形成して発展きたわけですから、行き過ぎた自己責任論は人類の発展と逆行します。
自責思考は大事
「自己責任」と似た言葉に「自責思考」があります。「問題が起きた原因を自分に見出す考え方」のことで、対義語は問題の原因を全て他人のせいにする「他責思考」です。
特にビジネスの場面では「他責思考ではなく自責思考が大事だ」と言われます。何事も自分事として考えよ、ということですね。
私は自責思考をもう少し広く解釈しています。具体的には
「起きた問題の原因を全て自分のせいだと考えること」
ではなく、
「起きた問題を解決するために自分が出来ることは何かを考えること」
を広義の自責思考と捉えています。時間軸を過去ではなく未来に向けているのです。この点で、自己責任論とは似て全く非なる考え方です。
問題の原因は自分自身にあるとは限りません。
むしろ原因が他責である場合は、それを他責としっかり認めるところからスタートします。
その上で、問題を解決する・事態を改善させるために自分は何ができるのかを、フラットに考えるのです。
この広義の自責思考を持つことが、人生を幸せに生きるために必要なことだと信じています。
親ガチャ問題と自責思考
具体的な例で考えてみましょう。
若者の間で「親ガチャ」という言葉が流行っています。
子どもは親を選べないということを、ソーシャルゲームでキャラクターなどがランダムに手に入る「ガチャ」に例えた表現で、経済的に困窮していたり、虐待を行うような親元に生まれたことを「親ガチャを外した」などと表現します。
実際に親ガチャはありますし、親ガチャが外れたことに対する子どもの責任は一切ありません。
したがって、親ガチャを外した子に自己責任論を説くことは不適切です。経済的な自立が難しい未成年のうちは、貧困や虐待に苦しむ子供を救う仕組みを国や自治体が主体となって確立していくことが求められるでしょう。
一方で子ども側も、成長する中で徐々に自責思考を持っていくことが大切です。
成人しているにも拘らず、ただただ現状の不遇を嘆きながら「親ガチャ外した」「親が悪い」と呪いのような言葉を履き続けている人をしばしば見かけます。そして境遇を深く掘り下げてみると、現状打破のために自分で打てる手はいくつもあるにもかかわらず、実際は積極的に動くことも無く呪詛を吐き続けているだけというパターンが少なくありません。
残念ながら、そういった方は(広義の)自責思考を持てていないのだろうと思います。
不遇の原因を他人のせい・過去のせいにすることは問題ないのですが、過去も他人も変えられません。
原因は原因と割り切り、どうやったら自分が幸せになれるか、そのために自分に出来ることを考えて行動することが大切です。
最後に
親ガチャに限らず、人生のスタートは全てガチャです。
お金、容姿、身長、性格、…いろいろガチャ要素はありますが、「人間として現代の日本に生まれた」というだけでもスーパーレアなのではないでしょうか。少なくとも今日明日の命を心配することも、天敵に狙われることも考えなくてよいのですから。
「配られたカードで勝負するしかないのさ」
「置かれた場所で咲きなさい」
昔から同じようなことを既にたくさんの人が言っていますが、その真意は「身の程を知れ」「何事も自己責任だ」というネガティブな意味ではありません。
自責思考を持って、人生の限られた時間を変えられない過去や他人を恨む・妬むことなんかよりも、自分が幸せになることに費やすべきだということです。
「自己責任ではないが、自責思考を忘れない」
これが人生楽しく幸せに生きるコツなのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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